プライベートで絶妙な空気感と日本人離れした
バランス感が創り出す《Kudos》の世界観

やり過ぎず、やらな過ぎず、未完成なプロポーションが
なんとも言えず心地よい雰囲気を醸し出している

2018.03.09 Fri

J.W.ANDERSONJACQUEMUSといったニュージェネレーション達のセンセーショナルな登場は、ファッションという複雑で巨大な生命体が「若さ」を保ち続けるために不可欠な新陳代謝だったのだろう。時としてそれは半ば強引にでも行われているようにも感じる。自然か人工かはさておき、その「若さ」が人々を惹きつける大きな原動力になることに疑いの余地はない。

冒頭に登場したデザイナー達がファッションシーンに現れた時、彼らが持っていた武器はアンバランスなプロポーションとアマチュアリズムだったように思う。

完璧なプロポーションによって作られるメゾンブランドのそれとは異なり、極端にデフォルメされ、正常とは異なる方法によって作られる彼らの服は、新鮮なように見えた。計算されているか、そうではないかは別としてランウェイで発表された彼らの服はセンセーショナルに伝えられ、瞬く間に注目デザイナーの仲間入りを果たした。その後の活躍は多くの人が知るところだろう。

少々長くなったが、彼らのような服を作るリアルクローズの範囲内で作る若手デザイナーは意外と多くない。大体がやり過ぎているか、やらな過ぎているかで、心地よいアンバランスさが生み出せない。国民性というか、国民病というか、「いい感じ」に「適当さ」を表現することが不得手なのかもしれない。

デザイナー本人がどのような考えで服を作っているのかはわからないが、《Kudos》からは上記のような日本人感があまり感じられない。もちろんこれは良い意味でだが、《Kudos》の服から感じるのは、テキトーさだ。「崩すこと」をやり過ぎたり、崩れた状態で完璧なものを作りたくなるのが日本人の性なのかもしれないが、良いところで留めているのが《Kudos》の服だ。それは簡単なようで意外と簡単ではない。デザイナー本人がスタイリングや撮影まで行っているというそのビジュアルからも伝わってくるプライベート感やピースフルな雰囲気、そのなんとも言えない空気感こそが《Kudos》最大の魅力だろう。

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