「輪郭を留めながら溶け出している」様はまるで東京の街。
あなたが目にするのは《bodysong.》という名の“現象”

分かりやすさが求められる現代において、分かりやすいのかそうではないのかもわからない掴み所のないブランドについての極私的解釈

2018.04.24 Tue

今の世の中には分かりやすいものが多すぎるのではないか。
映画も音楽も本も、そしてファッションでも。特にどのジャンルがと言うことはないが、世の中の表現の多くが具体的でわかりやすさを志向していることは間違いないと思う。複雑で難しく、人によって意見が別れるようなものはどんどん少なくなり、表面的で過剰でわかりやすいものが増えていく。

ファッションでも、それがどんな思想やコンセプトで作られているかとうことは置き去りにされる傾向にも拍車がかかり、例えば90年代後半から「精神に作用する波動」をテーマに衣服だけに留まらず、美術作品や書籍の発行など幅広いジャンルでの活動が注目を集めた《COSMIC WONDER》のような詩的で抽象的な表現は、許容されるのがむ難しい世の中になった。(もちろん《COSMIC WONDER》は今でも変わらずにクリエーションを深化させて素敵な表現を行なっている。念のため。)

デザイナーは、様々なメディアを駆使してそのブランドがどんなブランドなのか出来るだけ分かりやすく、多くの人に伝えなくてはならなくなり、メディアやショップも受賞歴やどこどこで働いていたと言う「来歴」をはじめとしてインパクトあるキーワードを求め、それによってブランドのことをわかったつもりになる。わかりやくすく、わかってもらわなければいけない。それが現代という時代の1つの事実。

しかし、もちろん全てがそうであるわけではない。《bodysong.》というブランドは捉えどころがない。もちろん服は見ることも買うことも出来るし、最近ではTOKYO FASHION AWARDを受賞したり、ランウェイでのコレクション発表を行なったり話題性もあるが、デザイナーはほとんど素顔を見せないし、そのクリエーションも具象とも抽象とも取れるし、様々な表現を支えるチーム体制も相まって、ブランドの輪郭は明確なようで、どこまでもグラデーションが続いている。

即興をブランドテーマの1つとしていることもあって、ワンシーズンの中でも様々なテイストが入り混ざり、本当に一人のデザイナーが全てを手がけているのだろうかと思ってしまうほどだ。そして、それらはリアルクローズなのか、そうではないのかすらもわからなくなってくる。まるで「アートピースのような服」という表現も当たるだろうが、それは《bodysong.》という「現象」と言った方が良いかもしれない。切り取る部分によって異なる姿を見せ、部分が全体であり、全体が部分でもある様子は即興的に形作られていく東京という街にリンクしている様にも感じられる。いずれにせよ、このブランドに1つの側面だけからの断言が禁物ということだけは間違いない。

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